二度あることは三度ある   まえのページへ    


 人から聞いたりしたことはよほど印象が強くない限り、すぐに忘れたりするものですが、実際に自分で経験したことはいつまでもよく覚えています。よく言われるのが、警察の事情聴取などで、実際に経験した供述であれば、何度聞いても同じ供述となるが、嘘の供述はその都度、内容が変わってくるといいます。それだけ自分で経験した事は記憶の中から引き出して話をするので狂いがない訳です。しかし、経験といっても印象に残らない経験であれば、すぐに忘れてしまします。とくに、危険な目に遭ったりした場合には、いつまでも頭の中に焼け付いて残っているものです。私の場合、二度あることは三度あるともいいますが、死に至っていたかも知れないような記憶に残る経験を三度しています。
 一度はずいぶん前の話ですが、学生の頃、金沢に住んでいた時の話です。昭和42年のことですが、その年は北国ではずいぶん雪が降りました。この4年前には38豪雪というのがあって、それは大変な豪雪でした。二階から出入りをしたと聞いています。昭和42年は、38豪雪ほどでもなかったのですが、それでも1mほどの積雪がありました。
 これぐらい積雪があると、雪下ろしをする必要が出てきます。下宿は昔風の結構頑丈なつくりでしたが、積雪とともに、障子やふすまが開かなくなりました。そうなると、危険信号が発せられるわけで、どこの家でも、雪下ろしが始まります。
 下宿は、おばさん二人と若いお嬢さんが一人の女ばかり三人家族でしたから、格好いいところを見せようとして、「おばさん、雪下ろししましょうか」といったら、困っていたのでしょう、一つ返事で「お願いします」ということでした。早速、スコップをもって屋根に上がりました。他所の家の雪下ろしを見ていると簡単に見えました。もちろん、雪は滑りやすいということは知っていましたから、慎重にやりました。長靴をはいて滑らないように、足元をしっかり踏みしめながら雪下しをやりました。
 ところが、作業にも慣れ、屋根を半分ほど下ろしたときでしょうか、注意しながらやってはいたのですが、足元が滑り、足を軒に向けた形で、尻もちをついてしまいました。そのまま、尻もちをついた形で、2メートルほど、軒の方に滑っていきました。隣の軒がみる間に近づいて来ました。屋根の上ですから、掴もうにも掴むものはありません。「ああ落ちる、お陀仏か」と一瞬思いました。ところが、途中でなぜだか止まりました。何で落ちないのか不思議に思いました。股間に何か硬いものがあり、それがストッパーになり止ったのです。
 北国の屋根には、積もった雪が突然に落ちないように、瓦の表面にアーチ型の半径5センチほどの雪止めというものがついています。これに、股間があたったのです。軒の下はブロック塀です、下ろした雪がクッションなんてことはありません。もう、続けて雪下ろしをする気持ちにはなれませんでした。そのせいではないと思うのですが、高いところに立つと、今でも足が震えます。今なら、危険性の高い経験のないことをやろうなんて考えもしないことです。
 次は、山口県の厚狭にいた時のことです。
 福山近辺には、もう遠浅の砂浜は残っていませんが、厚狭の方にはまだ残っています。そこへ、車えびを獲りにいったときの話です。漁師さんは船から、潮のあるところで縦網とかマンガンを引いて獲りますが、趣味の場合は、引き潮の時の砂浜で獲ります。
 ちなみに、経験した車えびの獲り方を紹介しますと、
  @潮が引いた砂浜で、大きな「くまで」を曳き、砂に埋まって隠れている車えびを掻き出し、跳ね出たところを掴み獲る。
  A膝ぐらいまで潮があるときに、泳いでいるのを直接網ですくい取る。えびは後ろに逃げるので、しっぽの方向を網で塞いで獲る。
  B潮が僅かある砂浜を懐中電灯で照らし、そのとき一瞬ですが海老の目が光るので、そこに網をかぶせて、砂をつついて、隠れている車えびを出す。
 ですが、最後の獲り方の効率が良かったと記憶しています。
 車えびのいる砂浜に行くには、岸壁から、沖へ歩いて30分ほどかかります。大潮になる夜中の2時から4時頃が漁の時刻です。闇夜の大潮になりますと、あたりは真っ暗です。沖へ出るには、竹の棒が50m置きに設置してあり、これを目印に沖へ出ます。一本道で、途中は竹の棒の棒から数メートル外れるとひざ位まで埋まるぬかるみです。闇夜でも、ライトを照らせば、竹の位置は分かります。竹の棒がなくなる地点まで行ったら、小月の航空隊が近くにありので、山の上で光る標識燈で自分のいる位置を確認します。何度か、熟練者と一緒に行き、自分なりに位置確認の仕方を覚え、一人でも帰れるというところまで、経験を積みました。これで、もう大丈夫と自信もついたので、一人で獲りに行くことにしました。
 3月のことでした。漁も終わりに近づいた頃です。今まで、暖かかったのですが、急に冷えてき、多少霧が出て来ました。春は霧が出やすいということは知っていたので、少し心配でしたが、あさりを採る地元のおばさん達の声が聞こえていましたから、欲を出してもう少し獲って帰ろうと思いました。そして、漁に一所懸命になっているうちに、いつの間におばさん達の声も近くで聞こえなくなっていました。霧も深くなりかけていました。今まではうっすらと見えていた標識灯も見えなくなっていました。
 さあ帰ろうと、おばさん達の声の方へ歩いて言ったのですが、おばさん達は見つかりません。竹の棒を探そうと、一回りしたら、声がしていた方向も分からなくなりました。いくら竹の棒を探しても見つかりません。潮とは反対の岸と思われる方向に前進しました。遠浅の海の潮のくるのは早い。なんとかして、岸までたどり着きました。入った地点から、2kmほど離れた地点でした。途中にはミヨもあり腰のあたりまで埋まりながらの帰還でした。生きた心地はしませんでした。
 すぐに、磁石を購入しましたが、それ以来、その場所には恐ろしくて行きませんでした。実は、竹の棒につかまって朝まで助けを求めていた人が以前いたという話を聞いていましたが、そのときは他人事で、笑って済ませておりました。自分がその現実になるとは夢にも思いませんでした。霧が深くなってくる危険が迫る前に帰る、経験の深いおばさん達が帰り始めたのは何故かと気づいて帰るという判断をすべきであったと思います。
 更に、もう一度は、車の運転をしていた時のことです。
 眠気を感じたのに、そのまま我慢しながら、車を運転していたら、追い越し車線を外れて、いつのまにか走行車線に移っていたという経験をしたことです。この間の記憶がありませんので、ほんの数十秒の居眠りはないかと思います。今から思うと、よく、事故にならなかったものだと思います。助手席にいた人もまったく気づかなかったようです。みんな疲れており、黙っておりました。車の運転が単調になると眠気がしますので、運転に変化をつけることが必要かと思います。まっすぐな道で疲れたときは要注意です。それ以後、無理せず、休憩をとることを心がけています。しかし、トラックの運転などは、4時間に一度休憩をとることなどと言われていますが、どうやって眠気を防止するんでしょうか。
 以上、三件の経験について記載しましたが、これらのことは今でも鮮明に頭の中に記憶されています。事が起きそうになったではなく、現実にトラブルに巻き込まれましたが、怪我もなく、大げさかも知れませんが、本当に運がよかっただけで生きています。そういう意味では、重大なヒヤリ事故です。先の二件は特殊な経験であり、二度と経験しないことですが、三件目は日常的に活かしている経験です。
 人間は経験を積んで成長していきます。特に良い経験はどんどん積んで成長していくことが必要です。しかし、安全については、痛い思いをしてまで経験をして欲しくありません。痛い経験はその人だけで十分です。小さな失敗は許されますし、又、笑って済まされます。しかし、大きな失敗は笑っては済まされません。新しく会社に入った、新たな仕事についた、危険な業務に着いたとかは、誰にでもあります。誰もが、死に至っていたかもしれないような経験はないにしても、怪我をしそうになったヒヤリ経験はあるのではないでしょうか。他人の経験をいかに自分のものとするかの技が安全人となることだと思います。逆にいうと、危険な経験をいかに伝承していくか、どう分からせるかの教育、危険に遭遇させない仕組みをいかにして作るかが望まれます。そうです、類似災害は二度と発生させない。ましてや三度なんてことはとんでもないことです。